スポンサーリンク

渡辺直美が痩せてる頃は貧困生活だったみたいだがそれでも大らかでいられた!底辺からの脱出方法が気になる!

インスタのフォロワー数が半端ない渡辺直美にも貧困生活の時代があった。

それは渡辺直美が痩せてる頃だが、常に大らかだったようです。

底辺から脱出して今の生活を手に入れる方法が気になっちゃいませんか?

渡辺直美wikiプロフィール

名前】 渡辺直美

生年月日】 1987年10月23日

出身地】 台湾・新北市

血液型】 A型

身長】 157cm

芸風】 ものまね、リズムネタ、形態模写

事務所】 よしもとクリエイティブ・エージェンシー

その他】 日本人の父親と台湾人の母親の間に産まれたハーフ

家族】 両親は幼少の頃離婚し、母親に引き取られて育った。姉が一人います。

渡辺直美の経歴

渡辺直美は台湾で産まれたが、中国語は話せないらしいですが理解はできるそうです。

両親の離婚後は母親の元に居たが食べるものにも困るほどの貧困生活だったそうで、

チラシに載っている食べ物をおかず代わりに切り抜いて、

それを見ながらご飯を食べていたそうです。

それでも明るい性格でよく喋っていたとのことです。

中学校卒業までは痩せていて、ハーフということもあってモテていたそうです。

茨城県石岡市立石岡中学校を卒業しています。

台湾には実のお姉さんが住んでいるそうで、インスタグラムでは姉妹での

ツーショットも公開しています。

出典>> https://blogs.yahoo.co.jp/watanabenaomi_blog/

雰囲気は渡辺直美とは少し違いますよね。

勉強が不得意で全く出来なかった渡辺直美は、

幼い頃から芸能界に憧れをもっていたこともあって

高校受験に失敗をしたのを機に、進学はせずにファミレスでアルバイトをしながら

家出同然で東京NSC12期生として入りました。

NSC同期とコンビを組んだりしましたが、方向性の違いなどから解散して

ピン芸人としてデビューしました。

その後、御馴染みのビヨンセの物真似で大ブレイクをし、

メディアなどへの露出も増えてくるようになって、

2008年3月から『笑っていいとも!』の14代目”いいとも青年隊”として

鈴木凛”いいとも少女隊”を結成しました。

同じく2008年の6月にはビヨンセが在籍したアメリカのグループ

”デスティニーズ・チャイルド”のファミリーBEST

『ラヴ・デスティニー』CMに起用されるまでになりました。

その後はバラエティー番組に留まらずに、映画やドラマや舞台など

大活躍をしています。

出典>> yahoo検索

渡辺直美のメイク術

渡辺直美はメイク等にも定評があって、メイクをしている動画が1ヶ月で

数百万再生を達成するほど注目を浴びています。

メイク術を動画で発信している祭には使用しているコスメが

”エスティローダー””セフィーヌ””ルナソル”を愛用していると

渡辺直美本人が言っています。

このような動画を観て渡辺直美のメイク術を学ぶ女性も多いとか。

堂々とスッピンを公開している大らかさにも驚かされますね。(笑)

渡辺直美の痩せてる頃

お笑い芸人が売れるまでは給料は想像出来ないくらい安いというのは

有名な話ですが、渡辺直美も例外ではなくデビュー当時は

お笑いのギャラだけでは生活が出来ずに他の芸人と同じように

アルバイトをしていました。

幼い頃に既に極貧生活の経験はあったので、

ある程度の貧困生活には慣れていたかもしれませんが、

やはりある程度の収入はないと話になりませんよね。

そこで、渡辺直美が選んだアルバイトが、これまた驚きのアルバイトで

『イメクラ風俗嬢』だったのです。

イメクラでの評判はとても良かったらしく、

日給は3万円で約2年間働いていたとのことです。

駆け出しの芸人にとって、一日3万円のアルバイトはかなりの収入ですよね。

その当時の写真がこちらです。

出典>> https://matome.naver.jp/

この痩せてる頃の渡辺直美の体重は今より約50kgも少なかったそうです。

このアルバイトに関しても渡辺直美は隠すことなく

ブログなどで公表しています。

このような時代を過ごしながら芸人としてお笑いの道を目指していた

渡辺直美でしたが、大きな転機となったのが当時のマネージャーとの

出会いだったようです。

ピン芸人として活動し始めた時に担当していたマネージャーが、

当時無名の渡辺直美の為に強い営業をかけてくれて、

新人ではまず受けることが出来ない大きなお笑いオーディションへ

参加するきっかけを掴む事が出来たのです。

そしてその場でお馴染みのビヨンセの動きの真似が

今田耕司らに評価されたのを機に、テレビでブレイクを果たす事になりました。

まとめ

日本語が殆ど出来ない母親の元で、

台湾と日本を行き来しながら育った為に、

どうやら渡辺直美は20才位までは日本語が苦手だったそうです。

幼い頃から沢山の苦労をしてきた渡辺直美ですが、

普通の人なら隠しておきたい自分の過去なども全てオープンに公表して

堂々と我が道を歩み続けているその姿勢も

今の人気に繋がっているのではないかと思います。

その底抜けの明るさ、大らかさが今の成功を作り上げたのかもしれません。

笑顔が似合う渡辺直美です。

これからも自分の思うとおりの人生を送ってほしいと思います。